古気候
地球環境変動の将来予想は,超長期的天気予報だ.
天気予報は直前の気団の動きなどの気象データを基に行われ,その信頼性は気象衛星や気象観測点の増加により,近年向上してきたこと.

同じことが超長期的天気予報にもあてはまる.より信頼性の高い変動予測を行うには,長期的な過去の気候データの質/量両面での向上が求められる.これを私たちは古気候観測点とよぶ.
従来の研究における,信頼性の高い古気候データは主に 1) 深海コア,2) 氷床コア,3) 造礁サンゴコアをソースとしており,それらが超長期的天気予報の検討に用いられてきた.今後も,これらの研究はIODP等の巨大プロジェクトにより,巨費を投じて採集が続けられる予定である.
これらのデータから熱帯地域での海水温・海流・高緯度地域での気団の変化は,原理的に予測可能になる.しかし,人口密集地域での降水量・気温などの予測は定性的な古気候データに頼らざるをえなかった.こえでは,防災や食料問題に十分に対処できる予測は不可能だ.

トゥファとは
ー高解像度の降水量と気温の古気候ソース
石灰岩層中に発達する鍾乳洞から湧出した水は,高濃度で炭酸カルシウムを溶解している.水が地表に湧出して大気と触れると,二酸化炭素を脱ガスし,方解石に対して過飽和になる.この様な水から沈澱したものがトゥファである.沈殿物は,二酸化炭素の脱ガスが起こりやすい河川沿いの段差の部分に発達しやすく,そこでは小さな滝を作る.沈殿はしばしば,トゥファの表面に生息するフィラメント状の底生シアノバクテリアのサヤ上で起こり,結果として多孔質の炭酸塩が堆積する.
日本には,西南日本の石灰岩地域(阿哲台や平尾台など)や琉球列島で普通にみられる.また,海外には,世界遺産に指定されている中国四川省の黄龍などで見られるような大規模な堆積物も発達する.
トゥファ内部には,縞状組織が発達し,それが年縞であることが示唆されてきた.縞状組織のパターンや規則性には地域的差違があると思われるが,少なくとも日本で堆積するトゥファの多くは孔隙質層(冬〜春)と緻密な層(夏〜秋)の繰り返しから成り,夏に高く冬に低い方解石無機沈殿速度の年変化を反映していることが確かめられている (Kano et al., 2003).
トゥファ堆積物の堆積速度は年間数mm〜1 cmであり,鍾乳石に比べてはるかに大きく,より高解像度で気候情報も記録されている.Matsuoka et al. (2001) により最初に報告された安定同位体値の研究では,水温の季節半かが記録されることが実証された.これを契機に,トゥファを用いた古気候解析も盛んになってきた.
より重要なのは,トゥファは降水量の記録媒体として極めて優れていることである.多くの鍾乳洞では,大雨の後に増水し,洞内にたまっていた粘土が懸濁する.粘土砕屑物はトゥファの表面に付着し,それが褐色バンドとして認識される.岡山県新見市での研究では,総降水量50mmの降水イベントがトゥファに記録されることが確かめられている (Kano et al., 2004).

鍾乳石研究
ー次々に明らかになる日本の気候変動記録
トゥファは優れた古気候記録媒体であるが,その堆積が100年を越えて継続しないという弱点があり,長期的な変動を連続的に記録できない.その点では,鍾乳石は優れており,欧米諸国や中国では,近年盛んに研究が行われ,陸域での古気候について新たな知見が示されている.
特に重要な結果は中国南部の試料から提示されている.過去12万年間の鍾乳石の酸素同位体値は,太陽放射量の変化に極めて良く相関し,その変動パターンは,海水準を反映した深海コアのパターンと大きく異なっている.すなわち,海水準は必ずしも気温と相関しない.これは,従来の気候変動に関する理解を大きく変えるものであり,将来の気候変動予測にも反映されるだろう.
研究室では2005年から本格的に鍾乳石研究を開始した.日本では,鍾乳石の年代測定技術の面で大きく遅れているが,私たちは台湾国立大学との共同研究によって,この問題を解決した.鍾乳石の長期的な連続記録と,トゥファの短気的な高解像度記録の統合により,陸域古気候学の新展開を目指している.
これまで,私たちの研究室では日本の鍾乳石を題材に2つの重要な研究を公表している。
 1つ目は広島県北東部の幻鍾乳洞で採集した石筍に関するものである。この石筍はウラン濃度が極めて高いため,精密な年代測定が可能であった。しかも,約1万6千から1万2千年前という,最終氷期からの温暖化という,気候学的に極めて重要な時期の記録を保持していた。
 最終氷期以降の温暖化は1万4千6百年前のベーリングアレレード期に急速に進行したというのが世界的な傾向である。しかし,従来の日本での研究では,この温暖期が1000〜500年ほど早く始まっていたという議論がなされていた(例えば福井県水月湖の花粉データ)。しかし,私たちのデータはこの「いち早い温暖化」とは合わず,世界的傾向を示すとされるグリーンランドの氷床コアの傾向と非常に良く合う (Shen et al., 2010)。
2つめの成果はさらに斬新かもしれない。私たちは「日本海側での降水量が世界的にもまれに冬に多い」という事実に着目し,日本海側最大の石灰岩地域である糸魚川の石筍研究を2009年に開始した。
 富山大学の柏木先生の協力のもと富山市での雨水を継続的に分析するなどの,地道な作業を積み重ね「降水量の指標である酸素同位体比の変動曲線が冬のモンスーン強度と同調する」という結論に達した。また,糸魚川石筍のデータ解像度は従来中国から報告されてきた冬のモンスーン強度記録よりもはるかに高く,完新世後期の脈動を記録している。
 さらに,糸魚川の降水強度が日本海海水温とも相関するという傾向をつかんだ。冬のモンスーン強度は冬季でのシベリアと日本海+北西太平洋の間での温度差に関係する。すなわち,今後温暖化した場合,冬の降雪量が増加することが予想される。海と陸の気候条件は複雑にリンクするのである (Sone et al., 2013)。