初学者のための電子回折解析プログラム

Computer program for beginners to assist interpretation of electron diffraction patterns

 

小暮敏博*

Toshihiro Kogure

 

 

 

 

 

 

 

 

2003年1月

 


 

Abstract:

A computer program to assist interpretation of electron diffraction patterns is described, especially for TEM beginners. The program contains calculation of diffraction patterns including high-order Laue zones and the extinction rule, and determination of crystal orientation from observed reciprocal lattice nets. Furthermore, combination with a slow-scan CCD camera that takes diffraction patterns in a computer realizes real-time determination of minerals and their orientations during TEM observation.

 

Keywords: electron diffraction pattern, TEM, phase identification, crystal orientation, slow-scan CCD camera,


 

I.はじめに

  様々な分析装置が高度に自動化され、大学においても学生がこれらの装置を使って容易にデータを得ることができる昨今の研究室において、透過電子顕微鏡(transmission electron microscope:以下TEMと略記)は彼らにとって扱いづらい装置のひとつとなっているのではないだろうか。新たな物質・材料開発のため産業界でもニーズの大きいTEMが学生に敬遠されるのははなはだ残念なことである。思うにTEMの初学者にとって難しい知識のひとつは電子回折とその解釈であると思われる。TEMによる電子回折は、逆格子や回折条件の概念が蛍光板上に“直接”観察することができるため、回折現象を学ぶには格好の教材と考えられるが、逆にこれらの概念を理解せず講義でただ聞き流している学生にとってはできれば避けて通りたい実験手法となるであろう。これを解決するためには学生自身の努力とともに、教える側にも何らかの工夫が要求される。本稿で紹介するプログラムも、筆者が学生に電子回折を理解してもらうためにここ数年間授業の演習等で使用しているものである。

 TEMを使う研究者は非生物系に限っても金属、半導体そして我々のように鉱物やセラミックスとその対象が様々である。単純な最密充填構造やダイヤモンド構造が多い金属や半導体と違い、鉱物の多くは対称性の低い結晶系や比較的大きな単位格子を持ち、一般的な電子顕微鏡の教科書の付録に載っているような、単純な構造の主要な晶帯軸からの回折パターン例はあまり意味がない。実際には多くの鉱物からの電子回折パターンの指数付けや方位決定のためにコンピュータによる計算が必須であり、ほとんどの学生が高性能なパソコンを所有する今日ではこれを利用することが得策である。このような計算プログラムを載せた教科書(田中他、1997)や市販ソフトも出ているが、これらを広く普及させることによりTEMの初学者がつまずくことなくその技能を向上できるようにすべきであろう(もちろんこの程度のプログラムは自作させた方がはるかに教育的だという考えもあると思うが)。

以上のような背景をもとに本稿では電子回折の理解・解釈を支援する簡単なプログラムを紹介することにある。本プログラムはインターネットからダウンロードできるようにしてあり、簡単な使用手順もつけてあるが、それを初学者がブラックボックスで使っていてはかえって“非教育的”と思われる。本解説ではその計算の原理等を簡単に説明し、初学者の電子回折に対する理解を深める一助になっていただければと思う。

 

U.プログラムのダウンロードと実行

本プログラムは以下のサイトからダウンロードできるようにしてある。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~EDANA/

ダウンロードにおける注意事項等はこのサイトを参照されたい。システムはWindowsで、筆者の周りにあるWindows98MeNT2000のパソコンで使ってみたが問題は生じなかった。しかしながら過去の経験からシステムの状態によってはエラーが出て動かないこともあるようで、筆者自身パソコンシステムの詳細に疎いためそのようなときの質問はご容赦願いたい。

 プログラムはVisual Basic 6.0を用いており、通常のWindowsアプリケーションのようにGUI(Graphic User Interface)の環境で操作する。プログラムを走らせるとFig. 1のフォームが現れる。鉱物の結晶学的情報として用意すべきものは、空間群と格子定数(a, b, c, a, b, g)だけである。空間群の入力は後述するように消滅則による禁制反射を識別して表示するためのものであり、判らないときは入力しなくても良いが、少なくとも複合格子の型は入力しなくては現実的ではない。本プログラムでは空間群No.を@、格子定数をA〜Fのボックスにそれぞれ入力し、後述するような計算を行う。また空間群はInternational Tables for X-ray Crystallographyの標準の表記を採用しているおり、斜方晶系などで異なる空間群の表記となっている鉱物では、Gのボックスで軸変換の方法(Bertaut, 1983)を入力する。

 

V.電子回折パターンの作図

 結晶の方位を表現する場合、実単位格子ベクトルによる座標系で表現される晶帯軸(実格子ベクトルの座標)[u, v, w]を用いるのが一般的である。この[u, v, w]の方向から電子線を入射した場合(電子線の進む方向は[-u, -v, -w]となる)、この晶帯軸に垂直で原点を含む逆格子網面の指数h, k, lは、当然のことながら実格子ベクトルと逆格子ベクトルの直交条件より

              uh + vk + wl =0

を満たすものとなる。この式を満たすh, k, lを選んでその逆格子点をプロットすれば原点近傍の回折パターンに対応する訳であるが、これではいわゆるゼロ次ラウエゾーン(Zero-order Laue zone: ZOLZ)のみを描いたことに過ぎない。高次ラウエゾーン(High-order Laue zone : HOLZ)を含んだ実際に近いパターンを描くには、以下のように本来の回折条件に従って作図する必要がある。

 結晶の方向をz = u a + v b +w c、逆格子ベクトルをg = h a* + k b* + l c*とすると、この逆格子点のEwald球までの距離Sは次のように書ける(Fig. 2)。

              S = |g|(p / 2 - qzÙg - qB)

Sは一般に励起誤差(excitation error)と呼ばれる量(励起誤差の正しい定義は逆格子点からEwald球までの電子線方向の距離であるが、通常の加速電圧では上式の値でも有意な差は出ない)であり、式中のqzÙgの間の角度、qBBragg角である。原理的にはS = 0を満たすh, k, l を選んでプロットすればよいが、電子回折では試料が薄膜であることによる逆格子の拡がり等のためにある程度の大きさ以下のSで回折が起こり、このSの最大値(º Smax)もパターンを描くためのひとつのパラメータとなる。プログラムではある範囲のすべての整数h, k, lについてSを計算し、その値がSmax以下の逆格子に関して原点からの距離をL·tan 2qB (L:カメラ長)、またその方向(j)については、

              cos j = cos qgÙgo / cos qB

で計算し、グラフィックとして表現すればよい。ここでqgÙgoz = u a + v b +w cと直交する、ある基準の方向go(例えばgo = w a* + w b* - (u + v) c*)と( = h a* + k b* + l c*)の間の角度である。このようにして計算・作図されたパターン例をFig. 3a, bに示す。ここでパソコンのグラフィック機能を使い、Sの値に応じてスポットに濃淡(Sが大きい場合は濃度が弱くする)をつけて現実感を出している。 Fig. 3aは霰石(aragonite, CaCO3)の[010]からのパターンであり、ZOLZとともに原点を中心にもつ円形の第1次ラウエゾーン(First-order Laue zone : FOLZ)が描かれている。また今までの説明において、実格子ベクトルのu, v, wが整数である必要はない(晶帯軸の定義からすると、u, v, wに適当な定数をかけて整数とすべきかも知れないが)。Fig. 3bwに小数を入力してFig. 3aの晶帯軸から約5°ずらしたときのパターンである。実際のパターンのように多くのラウエゾーンが弧(ラウエサークル)として現れる。なおプログラムでは空間群を入力すれば図のようにどの逆格子が禁制反射であるかを識別できるようになっている(但し複合格子による消滅則の反射は一切表示されない)。初学者にはこのような作図を通して電子回折における回折条件、そして蛍光板に映った回折パターンに対する理解を深めてもらえればと思う。

 

W.記録された回折パターンの解析

 先に述べたように鉱物からの回折パターンは、その構造の複雑さのため蛍光板上では言うに及ばずフィルム上で見ただけでその方位や指数を決定することは難しい場合が多い。しかしその計算は最近のパソコンを用いればZOLZ上の逆格子点間の距離と簡単なアルゴリズムを使って容易に行うことができる。例えば試料中の鉱物、結晶が未知なものであるとき、その回折パターンからその同定や方位を決定する場合を考える。最近の一般的なTEMX線組成分析器(EDS)が装着されているので、まず組成分析の結果から候補となる鉱物、結晶の格子定数等を入力し、逆格子定数を計算する。今Fig. 4のような回折パターン(逆格子網面)がフィルム上に記録されたとすると、結局この逆格子網面としては独立な2つの逆格子ベクトルの大きさ|g1||g2|と、その間の角度あるいは|g2 - g1|という3つのパラメータが情報のすべてとなる。フィルムから求められた|g1||g2||g2 - g1|に対応する長さをそれぞれd1d2d12とし、さらに計測等の誤差をDdとすれば、考えうる範囲のh, k, lに対して、

              d1 - Dd  <  lL| h1 a* + k1 b* + l1 c*| <  d1 + Dd

              d2 - Dd  <  lL| h2 a* + k2 b* + l2 c*| <  d2 + Dd

を満たすh1, k1, l1h2, k2, l2をまず求め(l:電子線の波長、L:カメラ長)、次にこの2組の指数の組み合わせより、

              d12 - Dd  <  lL|(h2 - h1) a* +(k2 - k1) b* +(l2 - l1) c*| <  d12 + Dd

を満たすh1, k1, l1h2, k2, l2が見つかれば、これがg1g2の指数の候補となる。本プログラムではFig. 1のH〜Kのボックスにd1d2d12Ddを入力し,結果(方位の候補)をLに表示する。しかしこれはあくまでも指数の“候補”であって、正しい指数あるいは想定した鉱物・物質と結論するには注意を要する。逆に以上の条件を満たすh1, k1, l1h2, k2, l2がまったく見つからなければ、その試料が想定した鉱物である可能性は否定される。次に

              u = (k1 l2 - k2 l1),  v = (l1 h2 -l2 h1),  w = (h1 k2 - h2 k1)

で求まるu, v, wで回折パターンを上で述べたように作図してみるのが重要である。禁制反射の出現状況(電子回折では多重回折により消滅則の反射も強い強度をもつのでX線回折のように単純ではない)や、もしフィルムにHOLZが写っていればその位置を計算されたパターンと比較してみる。例えばフィルム上でのFOLZの半径RFOLZは、

       RFOLZ = lL(2/l/| u a + v b +w c| )1/2

となる(複合格子の特定の方位ではFOLZのすべての反射が禁制反射となることもあるので注意する)。FOLZの出現位置はZOLZの逆格子網面(d1d2d12)とは独立な情報であるから、これが一致すれば想定された鉱物の同定や結晶の方位がいっそう確実になる。例えばFig. 5aはひすい輝石(jadeiteNaAlSi2O6)から得られた回折パターンであるが、ZOLZだけの解析では特定のひとつだけの方位の選定は難しい場合も多い。しかしこの図のように40 cmのカメラ長で記録すると約24 mmの半径でFOLZが写っており、これを再現するのは<1130>の結晶方位のみであることが判る(Fig. 5b)。もちろんHOLZからの情報は単にその半径だけではないが、本解説ではこれ以上述べない。できれば短いカメラ長でもその方向の回折パターンを記録し、HOLZもフィルム上に記録しておくことが望ましい。

 

IV.電子回折のリアルタイム解析

題目の「初学者のため」ということばには合わない内容かも知れないが、本プログラムにはCCDカメラ等で取り込んだ回折パターンの画像を解析する機能も加えてある。上記のような電子回折パターンの解析で、フィルム上に写った回折スポット間の距離等を測定するためには当然のことながらパターンを撮影後、TEMの観察を中断して暗室作業を行わなくてはならない。これは考えてみると非常に不便なことであり、できればX線組成分析のようにTEMから離れることもなく、結果を迅速にフィードバックして次の観察作業が進められることが望ましい。蛍光板上のパターンを覗き窓からデジタルカメラ等で取るなどのアイデアも試したが、斜め方向から撮影した像を補正するためのパラメータ等も多く、あまり実用的ではなかった。最近は回折スポットの強度をある程度弱くすれば回折パターンを記録できるスロースキャンCCDカメラが(まだかなり高価であるが)普及してきたので、これを用いて回折パターンを画像ファイルとして取り込み、それを上記のように解析すれば観察を中断することなく鉱物の同定や方位の決定ができ、非常に便利である。Fig. 6にその例を示す。標準試料で画像の1画素とフィルム上での長さの比を決めておき、Fig. 6aのように取り込んだ回折パターンの適当な3つのスポットをクリックすれば、候補となる方位のパターンを面内の回転角も揃えて出力する(Fig. 6b)。またこの方位における結晶軸の方向をFig. 6cのようにステレオネットに出力することにより、結晶のモルフォロジーとの対応や、目的の方位がTEMの限られた傾斜角度で実現できるかなど即座に判断できるようになっている。

 

X.おわりに

20年以上前まだ学生だったころ、X線プリセッション写真の方位の決定や指数付けをするために、研究室の大型計算機センターの端末を使ってこのようなプログラムをつくったことを覚えている。最近のパソコンの高性能化は当時のことを思い出すと夢のようであるが、一方で自発的にどんどんコードを書いて目の前の課題を解決していく学生はあまり見かけなくなった。何かを得れば何かを失うということのいい例かも知れない。

最後に本稿の内容に関して議論していただいた東北大学の津田健治先生、インターネット関連でいろいろと手伝っていただいた当専攻の佐藤守君に感謝いたします。

 

引用文献

Bertaut, E. F. (1983): Synoptic tables of space-group symbols. Group-subgroup relations. In International Tables for X-ray Crystallography / Vol. A, T. Hahn (Ed.) D. Reidel Publishing, Dordrecht/Boston, p49-68.

 

田中通義、寺内正己、津田健治 1997):やさしい電子回折と初等結晶学.pp. 141, 共立出版、東京.


Figure caption.

 

Fig. 1. Main from of the program for electron diffraction analyses.

 

Fig. 2. Schematic drawing to show the diffraction condition (see the text).

 

Fig. 3. (a) Calculated diffraction pattern of aragonite (CaCO3) viewed from [010]. The acceleration voltage is 200 kV (l = 0.0251 Å ) and Smax is 0.02 Å-1. The open circles in ZOLZ indicate the forbidden reflections. (b) Calculated pattern with the same conditions in (a) but the viewed direction is inclined from [010] by five degrees towards [001].

 

Fig. 4. Definition of d1, d2 and d12 to calculate the crystal orientation (see the text).

 

Fig. 5. (a) FOLZ ring recorded on a film with a small camera length. The specimen is jadeite (NaAlSi2O6). The acceleration voltage is 200 kV and the camera length is 40 cm. (b) Calculated pattern using the crystallographic parameter of jadeite and along <130>.

 

Fig. 6. (a) Observed diffraction pattern from Si <110> obtained using a slow-scan CCD camera. (b) Corresponding pattern calculated by clicking three diffraction spots in the diffraction image in (a). (c) Stereo-net to show the crystal orientation of the specimen.

 

Figure 1

 

Figure 2

Figure 3

Figure 4

Figure 5

 

Figure 6



*東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻

113-0033 東京都文京区本郷7−3−1

Department of Earth and Planetary Science, Graduate School of Science, the University of Tokyo, 7-3-1 Hongo, Bunkyo-ku, Tokyo, 113-0033, Japan

E-mail: Kogure@eps.s.u-tokyo.ac.jp